大人の三九郎
オトナの三九郎
うーん、カタカナで書くとアヤしい雰囲気
(^_^;)
僕の地元、長野県塩尻市では、昨日 1月17日(土)「大人の三九郎」が開催されました。
なぜ大人の三九郎なのか?
本来三九郎は子供中心の行事。だが、「大人中心の三九郎があってもいいんじゃないか」「地域の行事を伝承する手伝いをしよう」「縁起物だけでなく人形供養もやろう」ってなワケで地元の有志が集まり、おっぱじめた。てなハナシを聞いたことがあります。(情報がアバウトな所が俺らしいなあ)(笑)
で、今回で24回目(!)を迎えるそうです。そんなに昔からやってたんだね~。僕が噂を聞いたのはほんの10年ほど前。でも、見に行くのは今回が初めて。
「もっと早く行けよ!」って?言い訳させて下さい。この行事、毎年「終わった後に」地元の新聞記事などメディアで紹介されるのですが、
事前の告知、宣伝等、見たことがない!
「塩尻市の小坂田公園のあたりらしい」「小正月にやるらしい」「点火するのは夜らしい」「大人のというだけあって、かなりバカでかいらしい」「人形、ぬいぐるみも焼いてくれるらしい」というヒジョーにアバウトな情報しか耳に入ってこない。
それじゃあ行きようがないじゃん!後で書くけど、塩尻市長も参加してるんだから、市の観光課とか、商工会あたりとタイアップして、大々的に告知、宣伝すれば地域活性化につながるんじゃないかと思うんですけど…
もしこのブログを読んで下さったのなら、市役所、商工会の関係者の皆様、一考をお願いします。
と、ゆーコトで(どーゆーコトで?) (^_^;) いよいよ大人の三九郎の登場。

デカい!しかも、飾り付けもハンパ無い!よーく目を凝らしてみると左下に青いハッピの人が見えます。それでデカさを分かって下さい(^_^;) 写真ヘタですみません
別の角度からもう一枚。

この面はぬいぐるみと人形がいっぱい!暗くて分かりにくくてすみません。(なんか謝ってばっかりだなあ)(笑)
三九郎といえば、普通は円錐形に作るモノ。でも、これは四角錐。4つの面を作ることで飾り付けがしやすいとか、見る角度で違った面を見せられるとか、毎年試行錯誤の末、たどりついた形なんだろうなあ。(僕の勝手な推測です)
そーそー、24年も続くこの「大人の三九郎」来年、25回を持って終了。なんだって。なんでも「地域の行事を伝承するという使命は果たしたので、キリのいい25回をもって終了させたい」ってなハナシらしいんですが、
今日見た限り、実行委員会の皆さんかなりお年を召したオジさん達。きっと、始めたころはみんな血気盛んな40前後で、「ハデなことやろうぜ!」と、そーとー面白がってやってたんじゃないかなあ?
でも、年々辛くなってきちゃった。てのが一番の理由じゃないかとまたしても勝手に推測(^_^;)こんな所にも後継者不足の波が来てるんですねえ。多分。
が!しかし!BUT!(しつこい?)もったいない。もったいない!ガンガン宣伝して、もっと続けて、観光の目玉として定着させて行けばいいのに。塩尻商工会議所のみなさん、そー思いません?
さて、午後6時。 地元の「阿礼太鼓」の演奏でスタート。
最初は子供太鼓

そして構成を変え、大人も混じっての演奏。

さすが大人、迫力が違う。音をお聞かせ出来ないのが残念。何?「ビデオで撮って、ユーチューブあたりの映像を貼り付けろ」?
無理!ビデオカメラ持って無いし、そんな凝ったコトする技術も無い!(威張ることかっ)(笑)あ、加藤先生、佐藤先生、すみません。もっと勉強しますんで…。
そして地元のお寺(あ、名前忘れた。すみません)の住職も登場。護摩が焚かれ、奉納の儀式。

さすが大人。やる事成す事、普通の三九郎と大違い。
さらに近くの小坂田湖畔から数発の花火が上がる。冬の花火ってのもいいね(^^)
写真?撮ろうとしたよ。でも、俺のコンデジじゃうまく撮れない(^_^;)まわりで一眼構えてた人たちがいたから、その人達の写真見せてもらって下さい(^^)
午後7時。 塩尻市長が現れ、いよいよ点火。

↓中央の黒いスーツが市長サン。三九郎のバカでかさがわかると思います

そーなんだよ。わざわざ市長も参加してるんだから、観光の目玉のひとつとしてもっとじゃんじゃんアピールすれば良いと思うんだよ。
全国的にも珍しい行事のハズなんだから、県内全域、いや、県外からもじゃんじゃん集客できると思うんですよ。
「聞いたことはあるけど正確な日時と場所がわからない」って理由で行かない人も少なからずいると思うんだよね。
俺だって今回、知り合いのテキ屋さんから日時と正確な場所を聞いて、やっと見れたんだから。
そーそー、屋台もいくつか出ていて、ちょっとした縁日状態。さすがに浴衣だ着物だって人はいないけどね。寒いし、足下は泥だらけだしね。(当たり前か(^^;)
話を戻します。
「あっ」とゆー間に火柱が上がり、三九郎ってゆーか、もはや火事。
(^_^;)

それまでまわりを取り囲んでいた人たちも、逃げる逃げる(笑)もちろん俺も逃げながらの撮影(爆)

みんな遠巻きに見てます。

ふと視線を変えると、すぐそばに「ごみステーション」(^.^)生活感丸出しですな。

てゆーか、こういう身近な所でこんなハデなコト出来る環境っていいカンジ(^_^)v
午後8時。 ようやく火が小さくなってきた。

とはいっても、ふつーの三九郎が盛大に燃えているくらいのデカさ!
\(◎o◎)/!
本来、火が小さくなった所で「繭玉」(米粉で作った団子を柳の枝の先に刺したモノ)を焼いて食べるのですが、熱くて誰も近づけない!(爆)暖をとるために近くで焚いてるたき火で繭玉を焼いてる人もちらほら…。
と、そこへ小さな女の子が登場。勇敢にも繭玉を持って火に近づいて行く。おお、チャレンジャー!
すると当然、一眼レフ構えたオジさん達が「被写体発見!」とばかりにまわりを取り囲む(笑)当然俺も小さなデジカメ構えて(^_^;)参戦!

大人も近づけない熱さの火を目の前にこの余裕。すごい!将来モデルか大物女優か?と思いきや、ちょっとからくりが・・・。

そう、地元消防団の方々が引きずり出してくれた数本の木の前で焼いてたんです。この子アタマ良いね(^^) かわいい笑顔をありがとう(^_^)v
午後9時。 そして誰も居なくなった。

ちょうど「焼き頃」なのに・・・。まあ、こんな寒空の中、2時間も待ってるヤツ居るわけ無ぇか(^^;)
「そこまで言うならおまえは焼いたんだろ?」って?いや、繭玉すら持ってなかったっす。(爆)
おあとがよろしいようで。
ついでに三九郎の由来について
諸説あるそうですが、「これ」という決め手になるものはないらしい。
松本市立博物館に残る資料によると、1678年正月に出された触書には「左義長(さぎちょう)」と記されていたのだそうです。
諸説(1) 道祖神の「神主福間三九郎」のお札が配られたことによる人名説。
諸説(2) 三九郎と呼ぶ木製の人形を備えることから人形名に起因する説
諸説(3) 凶作・重税・疾病の三つの苦労=三九郎とする説。
諸説(4) 三本の柱を立てて九段に横木を渡す説。
諸説(5) 松本城を築いた石川氏時代の文書に三九郎という人物が三人登場していることから、石川氏との関係が深いのではという説
そして、この三九郎の火で焼いた繭玉(まゆだま)を食べると、一年間無病息災で過ごせると言われています。
さらに詳しくはウィキペディア(Wikipedia)の「左義長」の記事をご覧ください。
サンクリーン塩尻のホームページはこちら


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うーん、カタカナで書くとアヤしい雰囲気

僕の地元、長野県塩尻市では、昨日 1月17日(土)「大人の三九郎」が開催されました。
なぜ大人の三九郎なのか?
本来三九郎は子供中心の行事。だが、「大人中心の三九郎があってもいいんじゃないか」「地域の行事を伝承する手伝いをしよう」「縁起物だけでなく人形供養もやろう」ってなワケで地元の有志が集まり、おっぱじめた。てなハナシを聞いたことがあります。(情報がアバウトな所が俺らしいなあ)(笑)
で、今回で24回目(!)を迎えるそうです。そんなに昔からやってたんだね~。僕が噂を聞いたのはほんの10年ほど前。でも、見に行くのは今回が初めて。
「もっと早く行けよ!」って?言い訳させて下さい。この行事、毎年「終わった後に」地元の新聞記事などメディアで紹介されるのですが、
事前の告知、宣伝等、見たことがない!
「塩尻市の小坂田公園のあたりらしい」「小正月にやるらしい」「点火するのは夜らしい」「大人のというだけあって、かなりバカでかいらしい」「人形、ぬいぐるみも焼いてくれるらしい」というヒジョーにアバウトな情報しか耳に入ってこない。
それじゃあ行きようがないじゃん!後で書くけど、塩尻市長も参加してるんだから、市の観光課とか、商工会あたりとタイアップして、大々的に告知、宣伝すれば地域活性化につながるんじゃないかと思うんですけど…
もしこのブログを読んで下さったのなら、市役所、商工会の関係者の皆様、一考をお願いします。
と、ゆーコトで(どーゆーコトで?) (^_^;) いよいよ大人の三九郎の登場。

デカい!しかも、飾り付けもハンパ無い!よーく目を凝らしてみると左下に青いハッピの人が見えます。それでデカさを分かって下さい(^_^;) 写真ヘタですみません
別の角度からもう一枚。

この面はぬいぐるみと人形がいっぱい!暗くて分かりにくくてすみません。(なんか謝ってばっかりだなあ)(笑)
三九郎といえば、普通は円錐形に作るモノ。でも、これは四角錐。4つの面を作ることで飾り付けがしやすいとか、見る角度で違った面を見せられるとか、毎年試行錯誤の末、たどりついた形なんだろうなあ。(僕の勝手な推測です)
そーそー、24年も続くこの「大人の三九郎」来年、25回を持って終了。なんだって。なんでも「地域の行事を伝承するという使命は果たしたので、キリのいい25回をもって終了させたい」ってなハナシらしいんですが、
今日見た限り、実行委員会の皆さんかなりお年を召したオジさん達。きっと、始めたころはみんな血気盛んな40前後で、「ハデなことやろうぜ!」と、そーとー面白がってやってたんじゃないかなあ?
でも、年々辛くなってきちゃった。てのが一番の理由じゃないかとまたしても勝手に推測(^_^;)こんな所にも後継者不足の波が来てるんですねえ。多分。
が!しかし!BUT!(しつこい?)もったいない。もったいない!ガンガン宣伝して、もっと続けて、観光の目玉として定着させて行けばいいのに。塩尻商工会議所のみなさん、そー思いません?
さて、午後6時。 地元の「阿礼太鼓」の演奏でスタート。
最初は子供太鼓

そして構成を変え、大人も混じっての演奏。

さすが大人、迫力が違う。音をお聞かせ出来ないのが残念。何?「ビデオで撮って、ユーチューブあたりの映像を貼り付けろ」?
無理!ビデオカメラ持って無いし、そんな凝ったコトする技術も無い!(威張ることかっ)(笑)あ、加藤先生、佐藤先生、すみません。もっと勉強しますんで…。
そして地元のお寺(あ、名前忘れた。すみません)の住職も登場。護摩が焚かれ、奉納の儀式。

さすが大人。やる事成す事、普通の三九郎と大違い。
さらに近くの小坂田湖畔から数発の花火が上がる。冬の花火ってのもいいね(^^)
写真?撮ろうとしたよ。でも、俺のコンデジじゃうまく撮れない(^_^;)まわりで一眼構えてた人たちがいたから、その人達の写真見せてもらって下さい(^^)
午後7時。 塩尻市長が現れ、いよいよ点火。

↓中央の黒いスーツが市長サン。三九郎のバカでかさがわかると思います

そーなんだよ。わざわざ市長も参加してるんだから、観光の目玉のひとつとしてもっとじゃんじゃんアピールすれば良いと思うんだよ。
全国的にも珍しい行事のハズなんだから、県内全域、いや、県外からもじゃんじゃん集客できると思うんですよ。
「聞いたことはあるけど正確な日時と場所がわからない」って理由で行かない人も少なからずいると思うんだよね。
俺だって今回、知り合いのテキ屋さんから日時と正確な場所を聞いて、やっと見れたんだから。
そーそー、屋台もいくつか出ていて、ちょっとした縁日状態。さすがに浴衣だ着物だって人はいないけどね。寒いし、足下は泥だらけだしね。(当たり前か(^^;)
話を戻します。
「あっ」とゆー間に火柱が上がり、三九郎ってゆーか、もはや火事。
(^_^;)

それまでまわりを取り囲んでいた人たちも、逃げる逃げる(笑)もちろん俺も逃げながらの撮影(爆)

みんな遠巻きに見てます。

ふと視線を変えると、すぐそばに「ごみステーション」(^.^)生活感丸出しですな。

てゆーか、こういう身近な所でこんなハデなコト出来る環境っていいカンジ(^_^)v
午後8時。 ようやく火が小さくなってきた。

とはいっても、ふつーの三九郎が盛大に燃えているくらいのデカさ!
\(◎o◎)/!
本来、火が小さくなった所で「繭玉」(米粉で作った団子を柳の枝の先に刺したモノ)を焼いて食べるのですが、熱くて誰も近づけない!(爆)暖をとるために近くで焚いてるたき火で繭玉を焼いてる人もちらほら…。
と、そこへ小さな女の子が登場。勇敢にも繭玉を持って火に近づいて行く。おお、チャレンジャー!
すると当然、一眼レフ構えたオジさん達が「被写体発見!」とばかりにまわりを取り囲む(笑)当然俺も小さなデジカメ構えて(^_^;)参戦!

大人も近づけない熱さの火を目の前にこの余裕。すごい!将来モデルか大物女優か?と思いきや、ちょっとからくりが・・・。

そう、地元消防団の方々が引きずり出してくれた数本の木の前で焼いてたんです。この子アタマ良いね(^^) かわいい笑顔をありがとう(^_^)v
午後9時。 そして誰も居なくなった。

ちょうど「焼き頃」なのに・・・。まあ、こんな寒空の中、2時間も待ってるヤツ居るわけ無ぇか(^^;)
「そこまで言うならおまえは焼いたんだろ?」って?いや、繭玉すら持ってなかったっす。(爆)
おあとがよろしいようで。
ついでに三九郎の由来について
諸説あるそうですが、「これ」という決め手になるものはないらしい。
松本市立博物館に残る資料によると、1678年正月に出された触書には「左義長(さぎちょう)」と記されていたのだそうです。
諸説(1) 道祖神の「神主福間三九郎」のお札が配られたことによる人名説。
諸説(2) 三九郎と呼ぶ木製の人形を備えることから人形名に起因する説
諸説(3) 凶作・重税・疾病の三つの苦労=三九郎とする説。
諸説(4) 三本の柱を立てて九段に横木を渡す説。
諸説(5) 松本城を築いた石川氏時代の文書に三九郎という人物が三人登場していることから、石川氏との関係が深いのではという説
そして、この三九郎の火で焼いた繭玉(まゆだま)を食べると、一年間無病息災で過ごせると言われています。
さらに詳しくはウィキペディア(Wikipedia)の「左義長」の記事をご覧ください。
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